高岡市議会 2019-03-04 平成31年3月定例会(第4日目) 本文
平成の時代を振り返るだけでなく、歴史を遠くさかのぼりますと、1588年に豊臣秀吉が後陽成天皇を聚楽第に迎え、奉る際に引かれたのがこの山車であるという、何かしら天皇家に御縁があるところであります。 長く文化継承に御努力された御車山保存会の皆様もお喜びのことと存じますが、改めて1点目に、高岡御車山祭の開催日が新天皇の即位の日に当たる今年、本市としての思いをお聞かせください。
平成の時代を振り返るだけでなく、歴史を遠くさかのぼりますと、1588年に豊臣秀吉が後陽成天皇を聚楽第に迎え、奉る際に引かれたのがこの山車であるという、何かしら天皇家に御縁があるところであります。 長く文化継承に御努力された御車山保存会の皆様もお喜びのことと存じますが、改めて1点目に、高岡御車山祭の開催日が新天皇の即位の日に当たる今年、本市としての思いをお聞かせください。
高岡御車山は天正16年、豊臣秀吉が後陽成天皇を聚楽第に迎えまつるときに使用したもので、加賀藩祖前田利家公が秀吉より拝領し、2代目前田利長公が慶長14年に高岡城築城に当たり町民に与えたのが始まりと伝えられているのは御周知のとおりであります。 高岡関野神社の祭礼日にみこしとともに引き回されてより以来今日に至るまで、高岡の発展とともに継承されてきました。
これは御承知のとおり、高岡御車山は天正16年、豊臣秀吉が後陽成天皇と正親町上皇を聚楽第に迎え奉るときに使用したものでありまして、加賀藩初代藩主前田利家が秀吉より拝領し、二代目藩主利長が慶長14年に高岡城を築くに当たり町民に与えたのが始まりと伝えられております。京都祇園の祭礼に倣って鉾山に改造されておりますが、きょうに至るまで高岡の発展とともに継承されてきました。
御承知のとおり、高岡御車山祭のゆえんは1588年に秀吉が後陽成天皇を聚楽第にお迎えしたもので、秀吉、利家、利長と伝承され、1609年利長が高岡城を築いて入城後この由緒ある車を高岡町民に与えたと言い伝えられているものであります。古文書を見ますと、利長は「山もよく候にて」と書いてあります。本当に当時の山車をこよなく愛し、大切にしていたものと思われます。
高岡御車山は、豊臣秀吉が天正16年4月に、後陽成天皇と正親町上皇を京都聚楽第に御招待したときの山車を、秀吉の旧友であり、老臣であった初代加賀藩主前田利家が拝受し、さらにそれを新しくまちづくりをした高岡町民に与えられたものであります。高岡御車山はまさに桃山期の工芸文化と、日本の古代信仰の形式を備えた風格ある山車であります。